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プロボウラー・インタビュー |
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今瀧 賢 IMATAKI KEN |
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2014年プロ入り 53期 No.1337
ムサシボウル |
北海道出身 |
身長180cm / 100kg |
右投げ |
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ボウリング |
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写真提供:今瀧 賢 |
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高校生の時にマイボールを持ったんですが、大学(岡山理科大学)に行ってからもう少し真剣にボウリングをしたいと思って見学に行ってスポーツボウリングに出会いました。
4年間学連でボウリングに取り組みましたが、大学院に進学したので、大学院は学連でのボウリングはできないので、趣味で継続しました。
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父親が障害があったこともあって大学では福祉工学を研究しましたので、就職は車椅子メーカーを探したんですが、その時は見つからなくて、横浜市総合リハビリテーションセンターにへ就職して車椅子を使用する患者さんとドクターとの間に入って使用時の採寸や生活環境、障害の重さや障害の部位によって付属品をサポートする仕事をしていました。 |
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写真提供:今瀧 賢 |
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出会い |
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写真提供:今瀧 賢 |
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仕事上で知的障害のボウラーに出会いまして、その縁で障害者国体のサポートのボランティアを3年間続けました。そのサポートをしながら、仕事とボウリングの両立が難しくなってきたことと、国体の指導に当たっていても資格がないことがもどかしいと感じたこととで、考えた末、リハビリテーションセンターを退職してプロボウラーを目指しました。 |
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プロボウラーを目指してムサシボウルのアルバイトに入って、そこで今でも仕事を共にする、村山文佳(53期 No.1336 ムサシボウル)プロと黒澤勝彦(53期 No.1336 ムサシボウル)プロに出会いまして、一緒にアルバイトしながらプロを目指す事となりました。自分はJBCにちょっとの期間しか所属していなかったり、あまりオープン大会に参加した経験がなかったので、3人での受験となったのはとても心強い存在でした。
そして晴れて3人一緒にプロテストに合格しまして、同期となりました。
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厳しい世界で |
ムサシボウルがリニューアルの2年間は東京ポートボールでメカニックとしてお世話になりました。
2年後に社員としてムサシボウルに復帰して、プロボウラー生活を経験していますが、大会に出ても賞金を獲得できる人数も狭かったりと、家族を持ったこともあって厳しい世界を体感しているところです。
あとは、若手のプロの強さや自分自身との経験値の差を感じて、現代ボウリングと自分が今まで経験してきたボウリングの固定観念にも差を感じてもいます。 |
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写真提供:今瀧 賢 |
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これから |
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人との出会いや情報量というか、最先端の情報を知る機会が自分は足りないのではと考える日々なので、これからの目標のひとつは人との出会いを増やしてゆきたいなと思っています。
そして将来的にはプロになるきっかけをくれた知的障害者のサポートを再開したいと思っていまして、また、障害者のボウリングの技術も上がってきているので、サポートの技術も磨きたいと思っています。
あとシード入りとタイトル獲得、目指します!
→ 今瀧 賢
→ ムサシボウル
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2023.03 |
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